上海は一八四三年外國貿易に開放せられ,それから十年もたたないうちに英米文化の華を咲かせたことは諸書に見える。クーリング(Couling)とランニング(Lanning)の大著「上海史」(The History of Shanghai, Vols. I, II.)はその開花の模様の詳細な記録であるといつていい。そういう土地が,幕末明治初の大變動期にあつた我が國に影響を與えないというはずはない。文化が高みから低みに流れるのは自然の勢である。これは今まで諸家により抽象的には注目された事實であるが,資料が散逸してしまつているためか,あまり研究の對象にならなかつたようである。私とても先人未開の分野が開拓できるとは思わないが,たまたま十数年かの地におつて資料の蒐集に心がけていたため,他の人には接近しがたい資料にも觸れたことがある。その點いくぶん參考になるのではないかと思う。しかしここでは紙面に制限があることだし,廣い意味の文化を對象にせず,英学という一分野に限定して述べたいと思う。しかも我が英学に著しい影響を與えたのは幕末明治初期であるから,私の論述も自然その期間に限られることになる。